創造性とは (2)

 だからもし、あなたが名声を求めていて、自分は創造的だと思うなら――ピカソのように有名になったなら自分は創造的だと思うなら――あなたは見逃すだろう。そうなら実のところあなたは、まったく創造的ではない。あなたは政治家であり野心的なのだ。もし名声があがれば、よし。名声があがらなくても、よし。それは、考慮すべきことであってはならはない。考慮すべきは、していることが何であれそれを楽しんでいるかどうかだ。それは恋愛なのだ。

 質問者は尋ねている「自分は創造的ではないと信じていました」。もし、あなたがそのように信じるのなら、あなたは非創造的になるだろう――なぜなら、信じ込みは単なる信じ込みではないからだ。それは扉を開け、それは扉を閉める。もし、間違った思い込みを持っていたら、それは閉ざされた扉としてあなたのまわりにぶら下がる。あなたが自分は非創造的だと信じるなら、あなたは非創造的になる――というのもその信じ込みがすべての可能な流れを塞ぎ、無効にし続けるだろうからだ。あなたは「自分は創造的ではない」と言い続けるだろうから、あなたのエネルギーは流れようがない。

 このようにすべての人が教わってきた。創造的だと受け入れてもらった人はほとんどいない。数人の画家、数人の詩人――百万人にひとりだ。これは愚かなことだ! すべての人が創造者として生まれている。子供たちを見たなら分かるだろう。子供たちはみな創造的だ。少しづつ私たちは彼らの創造性を破壊する。少しづつ私たちは間違った信じ込みを彼らに押し付ける。少しづつ私たちは彼らの注意を逸らす。少しずつ私たちは、彼らを商業的に、政治的に、野心的にする。

 野心が入り込めば、創造性は消える――というのも野心的な人は創造的にはなりえないから、野心的な人はどのような行為もそのままでは愛せないからだ。絵を描きながら、彼は前を見ている。彼は考えている。「いつになればノーベル賞をもらえるだろう?」と。小説を書きながら、彼は前を見ている。彼はいつも未来にいる。そして創造的な人は常に現在にいる。

 私たちは創造性を破壊する。非創造的に生まれたものは誰一人いないが、私たちは、99%の人を非創造的にしてしまう。

 しかし、その責任を社会のせいにしても助けにはならないだろう――あなたは自分の生を自分の手に取り戻さなくてはならない。誤った条件付けを削ぎ落とさなければならない。子供のころに刷り込まれた誤った催眠的自己暗示を捨て去らなければならない。捨て去りなさい! すべての条件付けから自分を浄化しなさい、そうすれば突如として、自分は創造的だとわかるだろう。

 存在することと創造的であることは同義語だ。存在していて、創造的でないことなど不可能だ。しかし、その不可能なことが起き、その醜い現象が起きてきた。なぜなら、あなたの創造性の源はすべて、蓋がされ、遮断され、破壊されてきて、あなたの全エネルギーが、社会が割に合うと考える活動へと強いられてきたからだ。

 生に対する私たちの態度全体が、金志向だ。そしてお金というのは人が関心を持てる内で最も非創造的な物事のひとつだ。私たちのアプローチの全体が権力志向で、権力は破壊的であって創造的ではない。お金を追いかける者は破壊的になる。というのもお金を奪わなければならない、搾取しなければならないからだ。多くの人から金を取らなければならない。そうして初めて金を手にすることができる。権力とはつまるところ、多くの人を無力にしなければならない、人びとを破壊しなければならないということ――そうして初めて、あなたは強力になり、強大になりうる。覚えておきなさい。これらは破壊的な行為なのだ。

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