創造性とは (6)

 一人の偉大な禅師は大工だった。彼が机や椅子を作るといつも、どういうわけかそれらには得も言われぬ質、途方もない魅力があった。「どのように作るのですか?」と彼は尋ねられた。

 彼は言った。「私が作るのではないのです。私はただ森に行き、成すべきことは、森や木にどの木が椅子になる準備ができているのか尋ねるだけです」

 さてこうしたことは荒唐無稽に見える――というのも、私たちは知らないから、私たちはその言語を知らないからだ。三日間彼は森の中に留まった。一本の木の下に座り、また別の木の下に座り、彼は木々に話しかけた――彼は狂人だった! しかし木はその果実によって評価され、この禅師も彼の創作物によって評価されなくてはならない。彼の椅子のうちの数脚は今も中国に現存していて――その魅力を保っている。あなたはただただ魅了されることだろう。何があなたを惹きつけるのか、あなたには分からない。千年を経ているというのに!――何かが途方もなく美しい。 彼は語った。「私は行き、語りかけます。椅子になりたい木を探しているのだ、と。 私は木にその気があるのか尋ねます。その気があるだけではなく、私と協力して私と来る準備ができているのか――そうして初めて連れて来ます。時にはどの木も椅子になる準備ができておらず、手ぶらで帰ってくることもあります」

 かつてあった話だが、中国の皇帝が、彼の本のための本立てを作ってくれるようにとその禅師に頼んだ。彼は出かけて行ったが、三日後、「お待ちください――どの木も宮殿に来る準備ができていません」と言った。

 三ヵ月後再び皇帝は尋ねた。その禅師は言った。「私はひっきりなしに行っては、説得しています。お待ちください――一本の木の気持ちが傾きかけているようです」

 そして彼はその一本の木を説得した。彼は言った。「すべての技は、その木が自ら進んでやって来るということにあります。そうなると、その木がただ大工の助けを求めるのです」

 アシーシのところに行って尋ねてみたらいい――彼は木材を感じられる。木材もまた彼を感じられる。

 あなたが愛情深ければ、存在全体が個性を持つのが感じ取れるだろう。物事を押したり引いたりしてはいけない。見て、コミュニケーションをとり、彼らの助けを得なさい――そうすれば多くのエネルギーを保っておけるだろう。

 木々でさえ創造的で、岩でさえ創造的だ。あなたは人間で、この存在のまさに集大成だ。あなたは頂点にいて、意識を持っている。誤った信じ込みに基づいて考えてはいけない。自分は創造的ではないという誤った信じ込みに執着してはいけない。もしかすると父親があなたにお前は創造的ではないと言ったのかもしれない。あなたの同僚があなたは創造的ではないと言ったのかもしれない。ひょっとしたらあなたは間違った方向を探していただけ、自分が創造的ではない方向を探していただけで、あなたが創造的になれる方向性が必ずあるはずだ。それが見つかるまで、探し求め、可能性に対して開き、模索し続けなさい。

 人はそれぞれある特別の定めを持ってこの世に来ている。実現されねばならぬ何かを持っている。何らかのメッセージが届けられなければならないし、何らかの仕事が全うされなければならない。あなたは偶然ここにいるのではなく、意味があってここにいる。あなたの背後には目的がある。全体が、あなたを通じて何かをしようとしているのだ。

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