仏陀の教え

1、生きるとはとても単純なこと
生きるとは、複雑なようであって、じつはとても単純です。歩いたり座ったり喋ったり、寝たり起きたり。それ以外、特別なことは何もありません。この単純さ以外に、何か人間を背後から支配している「宇宙の神秘」のようなものがあると思うのは、妄想です。人生とはいともかんたんに、自分で管理できるものなのです。

2、有意義な苦を選ぶ
苦しいからといって、何かをやめるのは、苦しみから逃れる道ではありません。友達にいじめれて、学校に行くのが苦しい。そのとき「学校に行かない」というのが答えではありません。学校に行かずに、家にじっとしているのも、なおさら苦しいのです。どちらでも、同じ苦しみがあるということを知る必要があります。さまざまな苦しみのなかから、自分にとって有意義な苦しみを選びましょう。

3、先は楽ではない
勉強も仕事も子育ても、大変だ、苦しいのだと感じる人がいる。そのとき、いま苦しくても先は楽だと思って頑張るのです。しかし、先は、楽でしょうか。勉強は苦しいと思った人は、それを終えて仕事をすることになったら、勉強よりも仕事のほうが苦しいということを実感するのです。ですから、歳を経ると「昔はよかった」という人間になるのです。我々は「先の楽」というニンジンに惹かれるのではなく、一つひとつの問題を解決することを楽しみにすれば、「いまは楽しい」という人生を過ごせるのです。

4、光からさらなる光へ進む道
私たちは、それぞれの願いや希望を抱き、自分の「光」にして生きています。しかし、その願いや希望は、私たちの心を支配する欲や怒り、無知という煩悩の「暗闇」から発しているのです。破壊的エネルギーである煩悩から生まれた願いや希望は、「光」ではなく「炎」となって、人生に大きな悩み苦しみをもたらします。ブッタは、「暗闇」から生まれた願いや希望を捨て、「いま、正しいことを行う」生き方を示されました。それが中道・八正道です。「気づき」という光から、「智慧」というさらなる光へ進む道なのです。

5、死ぬまぎわでも悟れる
ブッダの説かれた人格向上の道は、死ぬまぎわでも歩めるものなのです。その実践法は、「いまの瞬間の自分とは、何か」と観察することだからです。死ぬまぎわでも、いまの自分の痛みや体の感覚、不自由であることなど、観察できます。そして、これまで生きていたのに、すべては自分から離れていくと観察すると、すぐに「無常」と「無我」に遭遇します。「生は虚しいことで苦しみであった」と、体験します。こうして、死ぬまぎわでも悟る可能性は大いにあるのです。

6、破壊されるのはまず自分から
怒ると、破壊するエネルギーが出ます。他人を破壊しようとします。破壊行為に行く前に、十分に怒りのエネルギーを溜めなくてはなりません。エネルギーを溜めると、他人を破壊する前に自爆することになります。ですから、他人に対して怒りをもつことで、まず自分自身が破壊されるのです。

7、その瞬間で気づいたら
何事も「それをする瞬間」というものがあります。悪いことをするにしても、怒るときにしても、「その瞬間」があるのです。大切なことは、「その瞬間で気づく」ことです。瞬間の感情というものは、気づいた瞬間に、完了してしまうのです。瞬間で気づいたら、その瞬間で問題は完了します。後で悪い結果にはなりません。

8、怒らないのは勇者だけ
私たちの生きている環境は、親切にされることよりも不親切にされることのほうが多い。うまくいくより、いかないほうが多いものです。弱き者が、それに対して怒ります。勇者は「うまくいかないのは当たり前」と思って、落ち着いているのです。勇者は怒らないのです。

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