仏陀の教え (2)

9、先に傷つくのは自分
たとえ悪人に対してでも、怒ったり攻撃したりすれば、自分もよけいな罪を犯して不幸になってしまいます。悪をなすのは相手であって、自分ではありません。それに腹を立てて攻撃すると、自分も怒りに汚染されて悪人になってしまうのです。相手に汚物や炭火を投げつけようとすると、先に汚れたり火傷をしたりするのは、相手ではなくて自分です。相手がひょいと身体をかわせば汚物は当たりませんが、汚物を投げようとした自分の手は、必ず汚れてしまうのです。

10、心をおさめたら安楽が
私たちは瞬時に怒り出したり、瞬時に笑ったりします。心というものは、あまりにもその動きが速いのです。あまりに速いために、心の動きに気がつくのは、とても難しい。だから、怒ったときは、そのことにすぐには気がつきません。もう手遅れになってから、「まずいことをした」と気がつくのです。その心の動きに気がつくことが、心をおさめることになります。ブッダは「心をおさめたら、安楽がもたらされる」と言われました。

11、心を具体的にはっきりとつかむ
怒りという心があるとき、心の中をさがしても怒りはみつかりません。しかし、怒りの心は、荒々しい呼吸や、こわばった顔の表情、力の入った肩など、具体的に体にあらわれます。だから、心の動きに気がつくためには、体の変化を、そのときしっかりとつかむのです。自分の体の動き、呼吸、歩き方、そして感情の動きなど、具体的な動きから、心はとらえることができるのです。いまという瞬間に起きている心の動きをつかまえたとき、心をおさめることができるのです。

12、無意識の心は汚れている
私たちは、普段、自分自身に気づいていることは、とても少ないのです。ほとんどの行為が、無意識のうちに行われています。やっていることと考えていることがバラバラです。歩いているときには、歩いていることに気づいていないで、何か別のことを考えています。食事のときも、本を読んでいるときも、話しているときも、そうです。無意識の心は、つねに「貪・瞋・癡」で汚れているのです。ですから、無意識で行う行動は、かなりトラブルの種になるのです。

13、これはほんとうに必要だろうか
ものが多くて捨てれない人がいます。どんなものでも、ものはすべて「荷物」だと思いましょう。人間は荷物を集める掃除車みたいなものです。限りなく荷物は増えていきます。衝動的に、「これがほしい」と買ったり集めたりすると、ものはどんどんと増えていきます。目的がはっきりしていないので、使うこともないし、かといって捨てられない。コントロールするには、「これはほんとうに必要だろうか」「なくては困るものか」という基準で選択することです。

14、鳥たちは自分の翼だけをもっていく
ものをもたない生き方がすばらしいのです。何もないことを喜べるのが、理想的な人格なのです。ブッダが、比丘たちに言いました。「鳥たちはどこに行くにしても、自分の翼だけをもっていく。何も荷物はない。しかし、どこにいても完璧である。だから比丘たちも三衣一鉢だけでいいのだよ」と。何ももたない生き方は、どこにいても自由で、何も欠けるところがないのです。

15、いいことに依存するのは
お酒や賭けごとに依存するのは悪いときまっていますが、「いいこと」に依存していることがあります。それはどうでしょうか。例えば、ボランティア活動、平和活動、地域活動などはいいことです。しかし、いかに「いいこと」でも、それに依存すれば、やはり自分を見失っていくのです。いいことでも、依存して行なえば、いい結果にはなりません。

16、勉強だけでは頭が悪くなる
勉強すれば「頭がよくなる」と思われていますが、勉強するとかえって「頭が悪くなる」場合もあります。世間では勉強と称して、「何のためか」を考えず、情報や知識をやみくもに詰め込んでいます。役に立たない知識で頭が雑然とするばかりで、結局、何も理解していない。でも、「何も知らない」とも言えません。ほんとうは知らないのに、知識のせいで「知っている」と思ってしまう。雑然と詰め込まれた知識は実際の役に立たず、しかもよけいな知識によって、明晰にみることができなくなるのです。

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