自我の終焉—絶対自由への道

J・クリシュナムルティ 著 根木 宏・山口圭三郎 訳  篠崎書林
1980年 8月10日 初版発行

※クリシュナムルティ(関係)の本の中では、出版されてからだいぶ年数の経つ”古い本”になったしまったが、彼の思想の基本を知るには、今でもこの本が一番いいように思われる。
この本は大きく「第1部」と「第2部」に分かれている。そして「第1部」は21の章から成り、章の最初では、その章のポイントが述べられている。このポイントを列記するだけでも、クリシュナムルティの思想の概観には役立つと思うので、ここにそれらを列記してみる。

<第1章 はじめに>
「あるがままのものを、あるがままに見よ」

<第2章 私たちは何を求めているのか>
「『神』を発見する旅に出る前にまず自分自身を理解すること」

<第3章 個人と社会>
「真理を発見するためには、あらゆる主義・主張から自由でなければならない。社会は貪欲と羨望—優越したものに対するあなたの羨望を根底にしている」

<第4章 自己認識>
「あるがままの自己を知ること—自己変革こそ真の革命と呼ぶことができる」

<第5章 行為と観念>
「私たちは常に『何かになろう』とする意思にふりまわされている。『あのようになりたい』という絶え間ない葛藤が私たちを苦しめつづけている」

<第6章 信念>
「実は『私』という存在は無であり、空虚な人間であるかもしれない・・・そうした不安や恐れを覆い隠すために、私たちは何らかの信念にすがりつこうとする」

<第7章 努力>
「『努力』とは自己中心的な活動である。自我を中心とした活動は闘争と混乱と悲惨を生みだすだけである」

<第8章 矛盾>
「『私』はマネージャーになることを望み、次にはオーナーになりたいと思う。何かになりたいと思う欲望にかりたてられたとき、矛盾が生まれる」

<第9章 自我とは何か>
「何かになろうとする欲望、それを求める努力、競争心—この精神の働きの全体が自我である。こうした精神の働きは、自己を他者から分離し、自分自身を隔離する」

<第10章 恐怖>
「『私』は私から満足を奪ってしまうかもしれない人物や物をことごとく恐れている。『私は死が恐ろしい』と言うとき、死そのものを恐れているのではない。自分に所属している様々なものとの関係を失ってしまうことを恐れているのだ」

<第11章 素朴>
「私たちの頭脳には無数の事実に関する知識や、他人の言葉がぎっしり詰めこまれているため、素朴になることもできず、自分自身で直接に経験することもできない」

<第12章 受動的な凝視>
「もし『私』が『あなた』を理解したいと思うなら、『私』は受動的に見つめていなければならない。そうすると『あなた』の方で、自然にあなたの素性を語りかけてくるものなのである。受動性—それは怠惰や眠りではなく、極度に研ぎ澄まされた鋭敏さである」

<第13章 欲望>
「法衣は欲望から自由になりたいという欲望を象徴している。しかし、あなたの心が、数えきれないほどの期待、欲望、信念、葛藤によってゆがめられているとき、外面的な物を放棄するだけで自由になることができるだろうか」

<第14章 関係と孤立>
「いかなる国家も国民も個人も、孤立して生きることはできない」

<第15章 「思考する人」と「思考」>
「意思的な行為は常に二元的である。物を二つに分離させるこの意思を超越して、二元的行為が存在しない状態を発見することは果たして可能だろうか」

<第16章 思考は私たちの問題を解決することができるか>
「思考は常に自己防衛的であり、自己を永続させようとするものであり、様々な経験や知識や信念に条件づけられている」

<第17章 精神の働き>
「あなたが愛の心を持って他人と協同しているとき、あなたは自分のことは考えていない—そのことにあなたは気づいたことがないだろうか」

<第18章 自己欺瞞>
「自己欺瞞—それは現世でも来世でも何者かでありたいと願うことから始まる」

<第19章 自己中心的な行動>
「自我の働きのあるところに愛は存在しない」

<第20章 時間と変革>
「真の幸福に伴う豊饒、真に意義をもつ生活は、時間を超えた無限のものである」

<第21章 創造と新生>
「精神が空虚であるとき、はじめて新生と改新と革命が生まれる」  最近出版された本の中には、彼の「人となり」や「神秘性」に関する論述に多くのページを割いているものがある。それはそれで非常に興味深いのだが、それらよりも、まずはこの本で述べられているような、彼の「思想」を理解することの方が重要だと考えられる(また、生前の彼の言動を考慮すれば、それは彼の望むところであるとも考えられる。彼は、自分の神秘性などが過度に注目され、自分がカリスマ化されるのを極力避けていた)。

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