すべての教育は「洗脳」である

第1章 学校は国策「洗脳機関」である
第2章 G人材とL人材

G人材は、世界規模 “グローバル” を行動範囲とする人材。L人材は、地元 “ローカル” に根付く人材のことで、学校がいらない理由と「所有」、これからの人々の幸福の指標となるものについて書かれています。

学校は「常識」を植え付けるためにある

残念ながら、普通に暮らしている限り「常識」という教義の危険性に気付く機会は少ない。それは「常識」の洗脳が、国家ぐるみで行われているからだ。国家は、全国に4万6000箇所もの “出先機関” を設け、この国で暮らす人たちすべてをその魔の手にかけている。その出先機関とは、「学校」だ。

「やりたいことを我慢し、自分にブレーキをかけ、自分の可能性に蓋をすることを推奨する恐ろしい洗脳が、白昼堂々なされているのが今の学校なのだ」と堀江貴文は言っている。

子どもは人格的に完成していない。だから「あるべき人間像」としての道徳を教え、「完成」に導かなければいけない。日本の学校教育の芯にあるのはこうした考え方である。一方では子どもたちの人権を語りながら、もう一方では子どもたちを未熟で不完全な存在として断じている。学校が嫌な場所になるのも当然のことだ。
結局、軍国時代に基礎が築かれた教育システムというのは、人を鞭打ち、「お前は半人前だ。早く一人前の軍人になって、戦えるようになれ」とけしかけるものでしかない。そしてこの21世紀になっても、大半の学校は、当時(昭和)のシステムを考えなしに踏襲している。

子どもたちを一箇所に集め、同じ時間、同じカリキュラムで、同じ教科書によって、たったひとつだけ用意した小さくて狭い枠のなかに無理やり押し込めようとしますが、そんなものに洗脳される使命はない。
学校という教育の場から教育を追い出して、子ども「を」生きられない世界に変えてしまった。
堀江貴文は断言する。もう「学校」は必要ない と。

第3章 学びとは「没頭」である(以下に記す)
第4章 三つの「タグ」で自分の価値を上げよ!

「学校」と「貯金」は同じだとして、将来への「蓄え」を重んじる考え方のことを「貯金型思考」と呼ぶ。すぐに動こうとしない人、学校で学ぶことに執着する人たちは、この「貯金型思考」に強くとらわれている人たち。
一方、自分の思い描く理想像に近づきたいと勇気やワクワク感をマインドとする「投資型思考」。
日本人は貯蓄が大好きだが、堀江貴文は貯金は「無駄」と言う。お金、時間、努力より重要なものがある。それは何か?

第5章 会社はいますぐ辞められる

学校による洗脳が骨の髄まで染みわたっている大人たちが洗脳から抜け出すにはどうすればよいのか? 1つしかない答えについて書かれている。

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